さあ、クローゼットに取り掛かろう。

クローゼットには服が大量にかかっているけれど、そのほとんどが普段使わない服ばかり。ドレスやワイシャツ、シーズンものなど。
そしてその床や上の収納棚には、所狭しと積み上げられた段ボールや箱。
開けてみると、その半分は“思い出のもの”だった。

学生時代の写真、手紙、イヤーブック。
イヤーブックなんて、今見ると「この年に何か特別なことあったっけ?」と思うくらいで、特別な出来事は思い出せない。あるのは、友達や先生のコメントやサインぐらい。
正直、半分は顔さえ思い出せない人もいる。

母がまとめてくれた私の成績表の束も出てきた。
ざっと目を通し、先生のコメントを見て少し微笑んでから、次々と処分。

旦那との写真もたくさんあった。
中学からの付き合いなので、プロムやデート写真も一通り残っている。
「こんなのも撮ったなぁ」と懐かしみながら、いくつかを厳選して、デジタル化するための小さな箱に移した。


クローゼットの奥から出てきた、もうひとつの箱

そして見つけたのが、3つの段ボール箱。
中身はすべて、合唱や歌の本だった。

中学から歌を習い始め、大学では声楽科へ進学。
そして去年まで、日本人市民合唱団の指揮者を10年務めていた。
今は家庭を優先して活動を休んでいるけれど、アメリカの合唱団には今も所属している。

この10〜15年の間に溜まりに溜まった楽譜たち。
CDやDVDなど関連資料と一緒に、段ボール3箱にぎゅうぎゅう詰め。
ほとんどは一度歌ったきり、もう歌う機会のないものばかり。

最近はアメリカの合唱団もデジタル楽譜をシーズン単位で購入するようになり、紙の楽譜を持つ必要はなくなった。
でも問題は、日本の合唱楽譜。
曲集が多く、単曲譜は割高でデジタル化も進んでいない。
だからこそ、どうしても手放しにくい。


手放せない理由

日本人合唱団の指揮者を退任したとき、後任の方に一部を託したけれど、それでもまだかなり残っている。

これを手放せない理由は、まさにアイデンティティ・クラター(自分を象徴するモノ)
人生の半分を歌に捧げてきた私にとって、これらは私そのもの。

手放すということは、
過去の自分を手放すこと。
過去の努力や時間を否定するような気がしてしまう。

でも、Clutterbug の Cas も言っていた。
アイデンティティ・クラターは誰にとっても難しい、と。
それまでの自分を形づくってきた大切なものだから。

だけど、“クラター”ということは、今は使っていないもの。
つまり、今の自分には必要ないものでもある。


過去の私と、これからの私

そう考えると、これらは「これからの私」を引き止めているのかもしれない。
過去の栄光にしがみついているわけではないけれど、
過去の私を手放すことで、今の私とちゃんと向き合えるようになるのかもしれない。

身軽になって、過去を考えることに使っていた心のスペースを、
今の私が望むことに使っていけたら――。
そう思ったら、少し気持ちが軽くなった。

だから私は(値段を見ないようにして)一つひとつの楽譜を見直し、
最終的に段ボール1箱分だけ残して手放すことにした。

クローゼットの一角を占めていた“アイデンティティ・クラター”は、
今では「まだここにいるよ、いつでも呼んでね」と語りかけてくるような、
そんな穏やかな存在になった。

歌が好きな私は、今も変わらない。
子育てが落ち着いて、時間ができたら――またそのときに歌えばいい。


そして次の難関へ

もう一つ、過去の努力という意味で手放すのが難しかったもの。
それは「コレクション」……。

続く――

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