アメリカではパントリーがあるのが一般的……だと思う。
少なくともうちにはある。
パントリーがなくても、乾物や食品を収納するための棚はだいたい備え付けられていて、これがまた便利のなんのって。今の家に引っ越したときは「なんて大容量なパントリー!」と目を輝かせていたのを覚えている。
気づけばぎっしり、見て見ぬふりの棚
それが今じゃ、一番上の段から床までぎっしり。
……なぜ? もともとこんなに物があったっけ?と思うほど。
一番上の段には、上にさらにいろんなものが積み重なっていて、何が入っているのかも忘れかけた段ボール箱。ながめているだけじゃ何も変わらないので、とりあえず食品の賞味期限チェックから始めた。
わかっちゃいるけど、の言い訳
案の定、出るわ出るわ、賞味期限切れの食品たち。
「賞味期限なんてあってないようなもんだから、まだ食べられるよね」とか、
「これはもらったものだからちゃんと使わなきゃ」なんて、頭の中で言い訳がはじまる。
でも、片づけを始めた今の私は少し違う。
「買ってから数ヶ月、いや1年以上たってるのに食べてないってことは、“食べない理由”があるんじゃない?」
そう自分に問いかけてみた。
その理由が思いつかない以上、これからもきっと食べない。
結果、食品は悲しいけれど2/3が減った。
でも、棚の中はスッキリ! 見た目だけでなく気分まで軽くなった。
思い出グッズとの再会
気分が良くなったところで、今度は存在を忘れかけていたモノたちに目を向けた。
子どもが小さかったときの電子レンジ用除菌機、ボトルウォーマー、ベビーボトル、お弁当箱、お弁当袋、母からもらった料理本……。
どれも「もうないものとして」生活していたのに、いざ手放すとなると「売れるかな?」「譲れるかな?」「また使う日が来るかも」と頭をよぎる。
でも、悩んだ時点でごみ袋へ。
だって、使ってない=いらない。
子どもがまた赤ちゃんになるわけでもないし、料理本は今やクックパッド頼み。
夫のお弁当箱や袋も、リモートワークになってから出番はゼロ。たまに出社しても食堂があるから必要なし。しかも全部100均。必要になったらまた買えばいい。
特に思い入れもない。
「とっておけばよかった」なんて将来思うことも、たぶんない。
ダッチオーブンがくれた喜び
最後に手をつけたのはキッチン家電。
これは少し強敵。なぜなら、「理想のママ像」が使っていそうな家電ばかりだから。
その中にあった、結婚祝いでいただいたダッチオーブン。
ずっと箱に入れたままで、一度も使ったことがない。使い方もわからないし、使っている自分も想像できない。だけど、捨てるのはもったいない。
売ろうかとも思ったけど、正直めんどくさい……。
そこでふと、料理好きの友達の顔が浮かんだ。
思い切って「いる?」と聞いてみたら、まさかの大喜び!
彼女は普段からサワードーを焼いていて、「2つあれば同時に焼けて時短になる!」と大感激。
数日後には、私が渡したダッチオーブンを使って焼いたパンの写真とお礼のメッセージが届いた。
長い間眠っていたダッチオーブンが、誰かの役に立って、笑顔を生んでいる――そのことが本当に嬉しかった。
手放したものの中で、一番印象に残っているのがこのダッチオーブンだ。
すっきりしたパントリーから見えたこと
まだ「必要ないかも」なカテゴリーのものは残っているけれど、見違えるほどすっきりしたパントリー。
見ていても暑苦しくない。
完璧じゃなくても、今はそれでいいと思える。
次はクローゼット!
続く・・・
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